週刊朝日が「長崎市長射殺事件と安倍首相秘書との『接点』」とする見出しの新聞広告を掲載したため、名誉を傷つけられたとして、安倍晋三首相の元政策秘書飯塚洋(いいづか・ひろし)氏らが9日、発行元の朝日新聞や週刊朝日の編集長などに計4300万円の損害賠償と、謝罪広告の掲載を求める訴訟を東京地...
きみとあめにうたえば
どーも、BP6日目しょーごです。
朝食、ごはん、味噌汁、柿。
昼食、おでんのこんにゃく2こ。
夕食、おばあちゃんが送ってきたおでん、お粥。
うへー。おわった。
ディレクターですよ。今日僕の番組が撮影されますた。
驚くほどテンパリマシタ。天パりました。
あまりの天パリぶりに「しょーごがあれだけ天パルなら・・・」と後に続く皆さんを怖がらせたほどです。
まぁ最終的に取れた番組はそこまでひどくなかったけど、リハはボロボロ。
時間もかかりすぎ。
まあいいや終わったから!
よーし、これからは読書らいふじゃ。
昨日の日記に書いた僕のあとづけ性格の最近の顕著な例はなんと言っても
自称ナショナリスト であろう。
俺は最近英語がキライだ。むじー。帰国子女ばっかのうちの学校の授業はレベルたけーし、
SDjgqzjgqTjg4k=">5pel5pys人のクセに「oops!」とかほざいちゃう教授をみちゃうと、むずがゆいー。
だからそれを正当化するために、うん俺ナショナリストだから外国のSDoqIDokYk=">6KiA6JGJなんざしらねー、っていう言い訳をつける。
そんでも別にそうじゃないからそっからさらに理屈とおすためにプリーフェクショナリストなんてSDoqIDokYk=">6KiA6JGJを作っちゃう。
これなら俺は岡山を愛しとるけー、するっと受容できるって寸法さ。
・・・英語がんばるぞ!
今日の授業ですげーおもれー講義があった。
詩人兼小説家の小原さんのお話。
フェミニズム論の文学の介入への批判からはじまり、それにSDjgqzjgqTjg4k=">5pel5pysの代表的文学である源氏物語を
引き合いにだして説明してくれた。すっごいわかりやすかった。
その後はどっぷり源氏物語の解釈を語ってくれて最終的にはフェミニズム論者が
ポストモダニズム論者に滅多打ちにされちゃったっていう話で締めくくってくれた。
この授業って輪講で、講師によって生徒のうるささが如実に分かれる授業なんだけど
小原さんは「うるさい!」と声を荒げることも無くしーんとさせてた。
やっぱ、民衆はしっかり映すね。
小原さんが語ったことは、フェミニズムは社会学の範疇であってそれを文学に押し付けるな、ということ。
文学は文学であって、社会学の規範を押し付けられたら何も語れなくなってしまうしおもしろくない。たとえばこじきと王様の話をえがいたとしても社会学的には
格差社会を描くのはよくない!という批判がくるが、これではお話にならない。
格差やヒエラルキーを描き出して、その位置が揺らぐこと(王様がこじきに転覆したり、こじきが一気に立身出世したり)から発する位置エネルギー
をダイナミズムの素となるエネルギーにして物語をうごかしていくというのは物語り作成の一つの手段なのだから
それを批判するのはお門違い、そもそも文学を社会学だなんだ、という別の土俵で語るのはふさわしくない、とのこと。
社会学の一つとしてフェミニズム論を選び、それを女性である小原さんがズバズバ語るから
この講義はよりおもしろみを増すと思う。
それで源氏物語のおもしろさとして、源氏物語の中心は源氏でなくそれをとりまく女性の多種多様な美しさである、と女性優位?な論を入れることで
小原さんが述べる「小説は一番おもしろい、と思える読み方をするのがよいのだ」という柔軟な考え方を
自らで表していると思った。
こういうズバズバ主観を入れてくれる講義こそ、大学だからこそ学べることであり
主観を入れた他者の考えを聞いて、それを自分の考えと戦わせて楽しむことこそ
俺は文学の楽しみ方であるし、そうやって自分の考えを昇華させる糧にするという文学の役目だと思う。
そして、俺は社会学の様相を呈するジャーナリズムより文学の方が自分に向いていると感じている・・・。
〓しょうご〓